ひとつ強力な武器を手に入れた感じです

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私は、強迫性障害と抑鬱状態でした。

私は将来、税理士となり独立することを夢み、当時、会計事務所の事務員として働いていました。

平成11年の5月か6月頃から、今までスラスラ打てた電卓が、なぜか右手が固まってしまい、電卓を打つのがだんだん困難になってきました。

原因が分からなかったので、とりあえず近くの接骨院に行きました。

2ヶ月ぐらい、ほぼ毎日通い、接骨院の先生も色々考え工夫してくれましたが、全く良くなりませんでした。

仕事で検算と言って、一度計算したものを、ちゃんと合っているか再度計算し、確認するという作業があります。

以前なら、こっちの数字とこっちの数字は合っているなと別段意識することなく確認できていたものが、何度も何度も確認するようになり、落ち着かなくなってしまいました。

頭では分かっているのに、確認を何回も何回もしなければ、次に進めないのです。

今、思えば、この時から自律神経がおかしかったのでしょう。仕事も効率が悪くなり、簡単な仕事でも時間がかかってしまうのです。

そんな中、とても仕事ができる先輩が急に事務所を辞め、仕事のほとんどを私が受け持つことになりました。

自分の仕事量だけでも精一杯なのに、完全にオーバーワークでした。私の確認行為は、さらにエスカレートし、毎日毎日がパニックでした。

起きている時は言うまでもなく、寝ている?時も仕事のことで頭がいっぱいでした。

なぜだか、朝早い時間に目が覚めてしまい、起きた途端に恐怖感、不安感に苛まれ、「助けて、助けて」と心の中で叫んでいました。

こんな状態がいつまでも続けられるはずもありません。

あれは平成12年の2月末、「これは完全におかしい。自分が壊れる」と感じ、仕事中でしたが、自分の判断で精神科に急遽飛び込み、受診しました。

しばらく先生と話した結果、うつ病だと診断されました。後に知り合いの勧めでクリニックを受診し、強迫性障害と抑鬱状態だと診断されました。

私は心の中で、なぜか「やっぱり」と思いました。その後、1ヶ月間休職し、4月は午後からの半日勤務、5月からはフルタイム出勤となりました。

私が休職している間に事務所は従業員を2人補充しており、私の仕事の負担は、だいぶ減りました。

体調も、だいぶ良くなりました。しかし、確認行為と手が固まることは相変わらずでした。

6月7月と調子がだんだん回復してきたかと思われましたが、お盆過ぎから体調が悪化し、机に座っていることも辛く感じるようになってしまいました。

そして、とうとう9月、事務所の所長に相談しに行ったところ、「もう一線引いたらどうか」と言われ、会計事務所を退職することになりました。

私は複雑でした。ほっとしたような、悔しいような。

でも当時は「もう、これで、この地獄から解放される。今は、ひたすら眠りたい。何も考えず休みたい」という気持ちの方が強かったです。

平成12年10月から平成14年8月までの約2年間、完全に仕事に就かず、自宅療養という形をとっていました。

自宅療養期間中も確認行為は相変わらずありました。

自分が吸ったタバコの火で家が火事になるのではという思いから、タバコの火が消えたかどうかとか、冷蔵庫の扉がちゃんと閉まったかとか。

頭を洗った時の泡がちゃんと流れたかとか、特に、これらのことが気になって、何度も何度も馬鹿なことだと思いながらも確認していました。

確認行為は、とても苦痛で、神経をすり減らすものでした。経済面では、退職するまでの貯金と退職金がありましたが、あっという間になくなってしまいました。

幸いなことに、母と妻が働いていましたので、2年間も無職でいられたのです。

それでも、妻にも限界があります。これ以上このままだと離婚という所まで妻を苦しめていました。

私も、このまま妻に甘えていてはいけないと思い、知り合いの勧めで、ヘルパー2級の資格を取り、老人保健施設で働き始めました。

しかし、体力的にも精神的にも自信がないままでしたので、3ヶ月しか続きませんでした。

その後4ヶ月間、また無職になり、その後、母の勤める染色会社に勤めました。

ここでは、社長が私の体調のことを承知の上で雇ってくれましたので、働きやすかったのですが、会社自体が任意整理で清算となってしまいました。

この会社には4年半在籍しました。肉体労働なので体力も徐々に回復していき、私の自律神経も安定していました。

この時期に子供が2人産まれ、家も建てることができました。今、思うと、この時期が、とても幸せだったなと思います。

この後すぐに新たな染色会社に勤めましたが、人間関係で4ヶ月で辞め、また3ヶ月間無職になりました。

その後、以前の経験を活かして、飲食店に経理事務で入社できることになり、3年近く勤めました。

しかし、また体調が悪くなり、仕事を休むことが多くなり、職場に居づらくなり、自ら辞めてしまいました。

当時、私は40歳で、就職に向けて、自分では自信があると思っている経理事務の仕事に就こうと多くの会社へ履歴書を送りました。

ですが、履歴書は返ってくるのがほとんどで、面接さえ受けることができませんでした。

数少ない面接の機会も活かすことができず、経理事務以外の職種も考えるようになりました。

3ヶ月の就職活動の末、全く希望の仕事に就けませんでした。

とりあえず何でもいいからということで、以前少しかじった介護の仕事を考え、特別養護老人ホームに就職が決まりました。

決まった途端、なぜかは分かりませんが、とてつもない不安感に苛まれ、抑鬱状態になってしまいました。

実際に介護の仕事は決まっていましたが、やる前から、不安で不安で逃げたくなっていました。

結果、介護の仕事は、たったの4日で辞めてしまい、そのすぐ後に決まった派遣の仕事も4日で辞めてしまいました。完全に抑鬱状態でした。

そんな時、相談したある人に、うつ病は整体が良いかもと聞き、インターネットで近くの整体院を探していたところ、向陽整体院を見つけました。

決め手は、先生自身が、うつ病経験者であることと、うつ病の苦しさ、怖さを分かってくれると思ったからです。

先生は物腰がやわらかく、まじめで、患者に良くなってもらいたいという気持ちが施術はもちろん、雰囲気からヒシヒシと感じ取れました。

はっきり言って施術料は安くありません。収入のなかった私には非常に金銭的に辛かったですが、先生を信じて、きちんと施術を継続しました。

私の場合は、2回目は初回から2日後、3回目は4日後、4回目は6日後、5回目は8日後、6回目は1週間後、7回目は2週間後、8回目からは月1回のペースになりました。

だいたい7回目ぐらいから、何か変わってきたかなと思い始めました。

先生に施術してもらうと、とても気持ちが良く、何か景色が明るく見え、帰りの車の運転もスムーズになるように感じます。だから、これからも向陽整体院に通います。

自律神経の病気、特に、うつ病が増加している今でも、まだ偏見があるように思います。なかなか人に分かってもらえません。

「甘えてる。我慢が足らない」とか心ない言葉を言われたりします。私は、とても傷つきます。

しかし、甘えてる、我慢が足らない所は、はっきり言ってあると思います。自分で分かっているから、人に言われると余計に傷つきます。

私は今、新しい仕事に就き、2ヶ月続いたところです。

今は心身共に調子が良いですが、これまでの経験から、今後いつまた自律神経を崩すかもしれないという不安はあります。

「がんばらないけど、あきらめない」。諏訪中央病院名誉院長 鎌田實先生の言葉です。

私は、よくこの言葉を心でつぶやきます。あと、深く深呼吸を3回します。

それに、これからは向陽整体院の岩田先生がいます。ひとつ強力な武器を手に入れた感じです。

先生、これからも、よろしくお願いします。

一宮市 K.Kさん 47歳 介護士

※お客様の感想であり、効果効能を保障するものではありません。

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